電気通信大学の思い出



菅 悦朗さん

卒業年度 昭和54年度
退職前の職業 公共施設の建物維持管理
略歴 塾講師、家庭教師を経て、上記業界に転業。退職し現在に至る。

 1973年に入学1979年に卒業しました。6年かかって卒業したわけです。2年も留年してしまった原因は何だったでしょう。一つはオイルショック不況のまっただ中で、就職活動が芳しくなかったこと。もう一つは、首尾良く就職しても、暗黒の職場活動が待ち受けているようだ(という思い込み)があったということ。在学時から始めた家庭教師とかマンション管理人などを卒業後もやりながら、漫然とフリーター的な生活を続けるようになりました。
 40歳頃転機が訪れました。不安定な仕事に就く者に対して、女性の見る目にも厳しいものがありましたが、ひょんな事から、結婚してくれる女性が現れました。子供も生まれました。ビル維持管理の仕事に就き、厚生年金にも加入できました。
 もっとも、無口な私にとって、入った業界は、いばらの職場生活と言って良く、何度となく業界内で転職しました。息子を公園に連れだし、サッカーとか野球とか遊ぶのが唯一の楽しみでした。65歳、東京オリンピックの2020年、コロナ流行の時代となり仕事を止めました。仕事を離れることができ、囚人生活を終えたような開放感がありました。
 以来、年金生活者となり4年目を迎えます。現在は松戸市分譲系公団住宅に暮らします。秋田県の実家が空き家となり、時々手入れで実家に出向く他は家で過ごしています。文学書に親しんだり文章を書いたり、更に動画作りもやるとなると、ヒマを持て余しているという感覚はありません。
 人生の折々思ったことは、せっかく電通大で機械工学を学びながら、なぜその方面に就職しなかったのか、ということ。技術者となった息子にも、ぐうたらとも言える私の人生を話して首をかしげられました。学部4年次、制御工学を担当していた梶谷先生、そして卒業研究担当本間先生からと、就職のお話をいただいたのですが、態度を曖昧にして、結果的にこれを辞退するハメになりました。言いつけに従っていれば、企業内定も夢ではなかったでしょう。今にしておもえば、大変バカな事をしてしまったと後悔しています。2年留年して、別な進路を模索しましたが、失敗しました。結局どこに行っても就職にありつけなかった者たち(就職難民)が押し寄せていたのです。
 食べていくだけなら、何かしら仕事はあるのかもしれません。職業に貴賎無し、かもしれません。しかし、誰でも、その日からやれる類いの仕事をやっていくとなると、精神的に辛いものがあります。外部からも、同僚からも、どこか見下した視線を注がれるだけです。
息子には、高専受験を勧め、合格すると学生寮住まいさせました。公団住宅での窮屈な空間では勉強にも支障があったのです。素直に従ってくれました。卒業時、保護者を対象にした進路説明会で学校代表が言ったのです。先輩たちが創ってくれた道を生かすべきだ。魅力的でない会社でも、採用実績のない場合、なかなか採用してくれないものだ。先輩たちが入社して活躍している会社はそうはならない。入社試験に来てくれることを心待ちにしているものだ、と。これは何も高専にかぎった話ではなく、学部や大学院の就職にも通じる話ではないかと思われます。
 最近は、売り手市場の時代とも言え、就職難時代のはなしなど役に立たないかもしれませんが、就職に迷ったら、先輩や卒論担当の先生に相談してみるのも有効な手段と言えます。いったん入社したら、30年以上は通い詰める事になるのですから慎重であるべきです。
 息子自身は、大学、大学院を経て企業(TEL・東京エレクトロン)に入社しました。似たようなコースをたどった者同士で切磋琢磨して、知識が増えていくのなら、長時間労働も安月給もよかろう、一歩道を外れると、百鬼夜行の世界だ、と親として発破をかけました。
 同社は、会社四季報によりますと、間近の平均年収1400万円弱、これは高卒社員含めての額面です。若くとも仕事に意欲的であれば、プロ野球選手並な収入も望めます。業績を伸ばしており、理工系卒の募集枠を増やしています。息子から聞く限り、離職率の少ない企業だそうです。
 在学生の皆様に言いたいことは、「隣の芝生がどんなに青く」見えても、多方面に才能あっても、電通大で学んだからには、その専攻を活かす道を辿って欲しいものだという事です。


高橋 明宏さん

卒業年度 昭和57年度
現職 HONDA R&D AMERICAS,INC

卒業以来当時の仲間とは時々顔を合わせていましたが、就職後東京から離れていたので電通大には長い間ご無沙汰しておりました。今回コメントの依頼を受けて久しぶりに電通 大のウェブサイトを見て、ずいぶん以前と様変わりした事に驚きました。電気通信学部機械工学科は情報理工学部知能機械工学科に変身しており、時代の要請に応えて様々なユニ ークな取り組みが行われています。最近では研究力の国際競争力向上をめざした国の研究大学強化促進事業支援対象機関に採択されています。間もなく、創立100周年を迎える にあたり、様々な事業が計画され、力強く発展している様は卒業した者として大変心強く思います。

さて、私は今、アメリカ オハイオ州のHonda R&D Americaで北米で生産する自動車の開発業務に携わっています。入社して最初は2輪車のエンジン設計、暫くして4輪開発に異 動、3年前にこちらに参りました。まだまだ若いつもりでいましたが私が調布の緑豊かなキャンパスに通っていたのはもう30年以上も前になります。将来はエンジニアにという 夢を持って電通大に入学したのは1979年の事です。田中 栄先生の材料力学はティモシェンコ著の英語版の教科書を使ってのユニークな授 業で、後に就職してからも良くノートを見返して設計の実践で役立たせていただきました。当時、機械工学関連で学んだ事はそのまま後の仕事に実践で活用されました。使用した教 科書は未だに手元に置いてあり時々、仕事で確認の為に使う事も有ります。製図実習は締め切りに間に合わせる為に徹夜で製図板に向かって単気筒エンジンの組み 立図を書きました。最初の設計はコンロッドが大き過ぎてシリンダに入らずやり直しをした覚えが有ります。 今はわかりませんが、当時は夜まで残っているとどこからともなく干物を焼くにおいが漂ってきて研究室のどこかで酒を酌み交わすにぎやかな声が聞こえる事もありました。

4年時、私は市川昌弘教授の研究室で信頼性工学を学んでいました。市川先生は私達ににこやかに接していただきましたが輪講では厳しく質問され、常に頭をフル回転していな ければついて行かれず、しどろもどろの回答をしては何度かお小言をいただいた事もありました。一昨年お亡くなりに成られたのは大変残念です。この夏には院生の今泉さんに指 導していただきながら卒論用のセラミックパイプ強度試験に使う部品作りで私は連日、機械工場で文字通り油にまみれて旋盤に向かっていました。突っ切りバイトでバー材を切断 するのは難しく、時々鈍い音と共にバイトを破損したが技官の方はいやな顔もせずに交換してくれました。 私は在学中に友人から誘われてオートバイに興味を持つ様になり、夏休みのバイトで手に入れたオートバイで通学したり、休日に丹沢方面に出かけたりする事を楽しみにしてい ました。またがった足の間で10000rpmでうなりをあげる空冷フィンの美しいエンジンは私をオートバイの虜にしました。それが今の職業を選んだ理由の一つと成りました。

今住んでいるオハイオ州は飛行機発祥の地と言われています。ライト兄弟が約110年前に初飛行に成功したのはノースカロライナ州ですが、オハイオ州は彼らの出身地で、飛 行実験を行った場所だからです。彼らの自転車屋の店舗も再現されています。そばには広大な空軍博物館があり300程の飛行機の実機が展示されていて人類の科学技術の発達の 歴史を目の当たりにすることができます。ライト機のレプリカと共に風洞や様々な実験装置も展示され、飛行に至るには実に綿密な実証実験が繰り返されていた事がわかり、彼ら の試みに当時のアメリカの科学者ですら機械が飛ぶ事は科学的に不可能と言っていた時代に果敢にチャレンジしてきた事にエンジニアとしていつも感心させられます。

自動車にはCAFEと呼ばれる大変厳しい燃費規制があってこれに適合させた車をリーズナブルな価格で提供する事が求められます。ガソリンエンジンで現在約30%という熱効率 を将来50さらには60%まで引き上げようと壮大な目標に向かって世界中のエンジニアが日夜努力しています。技術は留まる事なく進化しています。若い皆さんが将来やらなく てはならない事はたくさん有ります。近年の時代の変化は激しいものがあります。変化が激しい時代には、専門的な知識やスキルがすぐに陳腐化してしまう場合も有ります。従来 の価値観や手法が必ずしも長く通用するとは限りません。エンジニアには普遍的で、物事の本質を見抜く力を身につける事が大切です。困難を恐れずエキサイティングにチャレン ジしていく気持ちを忘れないでください。 


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Last updated on March 7, 2024 by www-admin@tsukikai.mce.uec.ac.jp