7月のある日,同じ三菱自工に勤める大学の先輩より電話がかかってきました。 仕事上の繋がりがなく用件は何だろうと不思議に思いながら話していると, 学生に対し,パリ・ダカールラリーについて講演して欲しいとのことでした。
人前で話すことなどしたことがなく,また, 自分自身では苦手な分野だったのでこの話を受けた時は正直に断りたいと思いました。 しかし,学生がパリ・ダカールラリーについて, また実際のラリー中の話等を聞ける機会は稀と思い, 後輩のためにこの話を引き受けることにしました。
僕が,パリ・ダカールラリーの仕事に係わったのは, 94年2月から98年5月までの約4年です。96年グラナダ・ ダカールラリーよりパジェロのサポートトラックとして三菱大型トラックを 参戦させることになり,94年よりサポートトラックの開発プロジェクトが 始まりました。何故か解らないがこのプロジェクトに入ることになりました。 僕の担当は,エンジン以外の駆動系の開発でした。そして,この間に, 95年グラナダ・ダカールラリー,98年パリ・ ダカールラリーの2回メカニックとして参加し,ラリー中の雰囲気, ラリーに携わる人達の意気込み,アフリカ大陸の広大さ,現 地の人達の生活等,滅多にできない経験をしました。
パリ・ダカールラリー (以下,パリダカ)は,毎年正月にパリ (最近はスペインのグラナダが多い)をスタートし, 約20日間かけてセネガルの首都ダカールにゴールするアドベンチャーラリーです。 走行距離は,約1万kmとなります。1日の走行距離は,約500kmで,最長では, 1000kmを越えるときもあります。
パリダカというと砂漠を走るイメージが強いですが, フランス等ヨーロッパでは,軍用地・農場を, アフリカ大陸に入ると日本の林道みたいな硬い道,柔らかい土の道, ピスト(フランス語で足跡という意味)と呼ばれる柔らかい砂の獣道みたいな道, 砂丘といった様々な路面を走行します。
サポートトラックとして重要なことは, 前述の様々な路面を壊れないで且つ速く走れることです。 そのようなトラックを開発するのに最初に困ったのが, 路面状況やラリードライバが如何にトラックを操るかが分からなかったことです。 実際には,十数トンあるトラックが大きくジャンプしたり, 壁のように感じる斜面を走行したりと想像以上の走りをします。 設計基準,評価基準を如何に設定するか,また, 評価を如何に実施するかを悩みました。
パジェロのKnow-Howは,車体重量,エンジン馬力が全く異なるため, 参考にならず,全くの0からのスタートとなりました。情報収集から始め, 様々な状況を考慮し設計,評価を実施しました。ラリー相当走行試験は, 社内の人では安全や,運転技術の面で試験できる人がいないため, 増岡氏(ラリアート,チャレンジャでパリダカ参戦), 実際にラリーで運転するフランス人ドライバにテストドライバを 依頼し実施しました。また,日本国内で砂丘走行試験ができないので, アフリカに試験車を持ち込み試験を実施したりもしました。
トライ&エラーを繰り返して, 96年のパリダカにサポートトラックとして初参戦したわけですが, 残念ながら,ドライブシャフト折損でリタイヤという結果で終わりました。 しかしながら,かなりの情報が得られ, その情報を基に改良を施し次回のパリダカに参戦させました。
参戦する毎に,考えもしなかった所に故障が発生し悩まされました。 この時, 感じたのが自然に勝たなければパリダカは完走できないということでした。
ラリー中メカニックの生活は, 朝7時頃起床し次のキャンプ地まで飛行機で移動します(キャンプ地は, 飛行場に隣接している)。炎天下の中(日中は35度位,夜は0度近い気温になる), 競技車が戻ってくるのをひたすら待ち続けます。競技車は, パジェロ等はPM5時頃,サポートトラックは早い時で,PM8時頃, 遅くなるとAM0時を越える時があります。それから,整備を開始します。 終わるのが平均AM3時頃で,就寝時間は,AM4時頃になります。
講演を終えて特に印象に残ったことは,学生の目が輝いていたことです。 下手な講演でも興味をもち真剣な目で聞いていて, その姿がなんとも言い表し難いが,とっても嬉しく気持ちが良かったです。
このような機会を与えて下さった石川先生に,また, 興味を持ち真剣に聴講して下さった大勢の学生に深く感謝します。
最後に勝手なお願いなのですが,車購入を考えている方がおられましたら, 三菱車の購入を御一考ください。 また,その時は,当方まで連絡を頂けたら幸いです。